在日語中表示可能有兩種方式,其中一種是以「V辞書ことができる」這句式,而另一種則是使用可能動詞。
V辞書ことができる
- ギターを弾くことができる。(能力)
- ここでは現金で払うことしかできない。(状況可能)
可能動詞
- ギターが弾ける。(能力)
- ここでは現金でしか払えない。(状況可能)
「~ことができる」句子前是動作,因為原句是「NをV」時所以保持原助詞不變(即不可說成「ギターが弾くことができる」)。而這篇討論的是點是,以可能動詞表示的狀況,前方助詞該真的真的只能用「が」嗎?
即,可以說成「ギターを弾ける」嗎?
在『みんなの日本語』第27課導入的可能動詞句子當中,原句(例:ギターを弾く)在轉成表示能力句子後有且只有接助詞「が」的情況(例:ギターが弾ける)。
但實際上,的確有「NをV可能形」的說法(例:ギターを弾ける)。
先來回顧「を」「が」使用上的差別:
基本用法 | 例 | |
---|---|---|
を | 動作+受詞 通過點 離開點 | パソコンを使う 空を飛ぶ 電車を降りる |
が | 喜惡 能力 主語+動作 | 花が好きだ 料理が下手だ 子供が遊んでいる |
這裡我們先注目「が」的喜惡用法,在『みんなの日本語』第13課導入「Nが(を)Vたい」「Nがほしい」時,並無特別講解「NがVたい」「NをVたい」使用上的分別。恰好地,「NがV可能」與「NをV可能」的差別大致也與「NがVたい」「NをVたい」一樣,亦即動作性與狀態性的分別。
動作性 | 狀態性 | |
---|---|---|
N<を/が>Vたい | 〇マグロを食べたい 〇一度NBAを見てみたい | 〇本が読みたくない 〇好きなアイドルが生まれた町が見たい |
N<を/が>V可能 | 〇機械を操作できる 〇たばこを吸える場所が減っている 〇敵を倒せるようにしたい | 〇1億の家が買える 〇レポートが今日中にできない 〇20キロの荷物が一人で持てる |
由上可見,兩者意思非常接近,譯成中文後基本亦無差別,但在日語的語感上就有「動作性」與「狀態性」的細微差別。具體來說有甚麼差呢?
如同樣是「見たい」,「一度NBAを見てみたい」較著重「看」的這個動作,而「好きなアイドルが生まれた町が見たい」則著重「能夠目到」的這個狀態,兩者助詞調轉使用並沒問題,倒是「△東京タワーから町が見たい」這樣的說法就較奇怪了,語感上則是說是「~を見たい」較自然。
在可能動詞構成的可能表現亦是相同的概念,基本語意一樣,想強調動作部分的優先選用「NをV可能」,強調能力的狀態則是「NがV可能」,不過可見日常生活中「を」的可能還較為常見。
文法加碼
非受詞用法的「場所をV」一般亦保留「を」:場所をV可能
- あのつばめは怪我で空を飛べない。(通過點)
- あまり勉強していないから、4年で大学を出られないんだ。(離開點)
另外,本身具可能意思但非可能動詞的情況則照常使用助詞「が」:
本身具有「可能」意思的動詞(包括感官動詞):
- 彼の言う言葉がわからない。
- バドミントンができる。
- ここから富士山が見えるよ。
- 遠くから鳥の声が聞こえる。
補充
「ほしい」前助詞一般用「が」,「欲しがる」則根據狀態性與動作性可使用「を/が」:
- 若者は常に新しいものが欲しがっている。
- 誕生日、何がほしい?
- いつか自分の家が欲しいね。
小總結
- 無論是「~Vたい」還是「~V可能」的句子,前方助詞皆可使用「が」,只是語感上的差別
- 而表示離開點及通過點的情況,前方助詞一般保留「を」
- 本身具可能意思的動詞如「わかる」「できる」「見える」只會接「が」
「若者は常に新しいものが欲しがっている。」→「若者は常に新しいものを欲しがっている。」
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